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F.S.S.DESIGNS4感想16―詩女(3)

Category : F.S.S.
永野護『F.S.S.デザインズ4』の感想をネタバレとか気にせずに書いてので、注意。
基本的には「デザインズ4」の見出しごとにメモ。


■ ナナド・ホル"フ・リエ"
ムンセンとのコンビを組んだときは「騎士さえも一瞬で葬り去る」らしい。


■ムンセン・ルルラン"ル・ゾラ"

後にラーンに配備されたAP騎士団ラーン支隊は彼女らの下につく


へー。

ムンセンの上着が面白いデザイン。
身頃の裾が花びらのようになっている。この裾部分、実物だとどう処理されているのだろう。

ムンセンもナナドも衣装が良い。二人ともアウターがクリーム色、ボトムスが小豆色。この色の取り合わせがなぜかとても気に入った。似たようなコーデしたい。まずはクリーム色と小豆色の服を買うところから始めなければならないのだが。というか小豆色のバルーンパンツ、オフィシャルグッズで出れば済む話だな。


■ラーン教導学院学生 ツィー・ミーン
ラーン教導学院に「裏口入学」した落ちこぼれ学生。

このキャラクターの初出は『スクールデザインズ』で、謎のキャラクター扱いだった。今回ほんの少し明かされた部分もあるが、まだぜんぜんわからない。

ミーンは詩女ナカカラのことを「強敵」と言っているそうなので、ナカカラと同時代の人物か。
p90によればナカカラの在位は2010年頃~2130年頃まで。ジョーカーの史実では聖宮ラーンの「東宮西宮の乱」、星団法制定、アマテラス誕生、アマテラスがリトラと結婚、ボスヤスフォートがグリース王宮を襲撃などの時代。ほぼ同時期の詩女にリトラがいるが、リトラ=ミーンなのだろうか。


■ラーンのしきたり
・都行きの由来について

これを「都行き」と呼び、最初に詩女となった「詩女アトール」の時代、ハ・リもなく人々に信頼もされていない時代にアトールが集落やオアシスを転々と渡り歩いた再現であるとも言われる。
p77

というわけで詩女ナイミン・ハスハ・アトールは苦労をした詩女のようだ。その道のりをあえて歩き直してみるのが都行きである、というところになんだかリアリティを感じる。

・聖宮ラーンの政治システム
聖宮ラーンには、詩女の交代と同時にラーンの中枢の人々もすべて交代するという政治システムがある、と設定されている。この設定って、いったいいつから出てきたんだろうか。それについてはいつか調べるとして、興味深いのはこのシステムには作者の強い思い入れが感じられることだ。

 それは人が老いるのと同じように国家や政治システムも老化し、硬化する。また、国だけでなく、会社やクラブ、同好の集まりであっても、わずか20年ほどで老化し、ほとんどが保身に向かう。
 新しい物を拒み、また若い人材を入れるとしても自分たちが制御しやすい人材を本能的に選んでしまうように、いつしか国家や会社とそのシステムも非活発になり、やがて腐敗していくか死に絶える。それが人間の本質的な老化とかたづけてしまうのは簡単だが、若い人々が革命を起こし、新しい人々が興した政治であっても30年も経てば以前と変わらない政治システムにどんどん似ていくのと同じである。これは歴史的に専制君主であっても民主政治であっても変わらないようだ。

 ラーンはこれを実際に行っているのである。詩女というトップが入れ替わり、それと同時に中枢もすべて入れ替わる。
(永野護『F.S.S.デザインズ4』p77

この辺りの文章、妙に筆が乗っていないか。この設定と呼応するようにして、近年の作者は以下のようにも語っている。

若い者ばかりの登場が続くのは世の流れなのかもしれない。
(中略)
騎士だけでなく、国家支配者やミ―スたちマイトも新しい世代に切り替わっていく。ラ・シーラも見ての通り言動は子供じみたところが多いが、年寄ばかりが国家を回すことの危険性を人間は本能的に察知して、周期的に若い者達へと道を譲るのかもしれない。これはこの話に限ったことではなくて僕らアニメ業界にデビューしたときもそうだ。1980年から1985年までの間にアニメーターから監督からデザイナーから声優まで膨大な新人がデビューした。そういう時期がいくつもあるのだろう。今なら日本のフィギュアスケート業界がそれだろうね。
(永野護『F.S.S.リブート』6巻p258


そんな永野護によくぞ今まで多くの方々がおもしろいと言い、デザインがすばらしいと言い、ついてきてくださった。あたらめて感謝するとともに、お詫びを申し上げる。
(中略)
凶悪きわまる「アシリア・セパレート」のデザインに惹かれる方がひとりもいなくとも僕は描き続けることだろう。「だって、これがすごいと思ってるんだもん」だ。変化を恐れるのは老人だけだ。立ち止まるならその立ち止まった時点で死んでしまえばいい。変化のない未来など夢も希望もないと言うことだ。僕はそう思っている。
(永野護『F.S.S.リブート』7巻p529)



一つ目の文章ではアニメ業界やフィギュアスケートに触れつつ世代交代の意義を語り、二つ目の文章ではかなり強い言い方で「変化を恐れ」たり「立ち止ま」ったりすることを否定している。
近年のこれらの言葉をふまえれば、聖宮ラーンの交代システムの設定には作者の個人的な問題意識がかなり反映されていると考えてよいだろう。リブート4巻だかのインタビュで作者が「以前は自分を認めてくれない周囲への憤りがあったが、今は自分が認める側になった」という意味のことを述べているとおり、本来、年齢でいえば永野護は新しい世代を引き上げる側にある。たとえば『重戦機エルガイム』で永野護という若い才能を引き上げた富野由悠季は当時43歳だったが、現在の永野はその年齢をとうに過ぎている。だからたとえば「オートマチックフラワーズ」サイト内で一時期、永野ではない作家の作品が掲載されていたのは引き上げる側としての意識の表れなのだろう。

とはいえ、永野護はひとりでマンガを執筆する作家なので、新しい才能を次々に起用するような立場にない。新しい変化を積極的に受け入れていくという先行世代としての責任を果たせない永野は、だから当然の理路として(?)、いっそみずからが変化をもたらす新世代側であろうとし、それがF.S.S.大改編にも繋がることになる。ゴティックメードやアシリアを含めたF.S.S.大改編は、「MHやプラスタに飽きた」といった美意識のレベルだけでなく、「停滞することはヤバい」という理念のレベルにおいても行われているのだ。この作者が自分のことを「お兄さん」(註)とか言っていることも、意識は新世代の側にあることの傍証としてある。あ、違うか。

(註)『月刊ニュータイプ』2013年4月号の連載扉。

ちょっと関係ないけどメモ。
永野護という作家は以前から「老いを恐れる作家」だった。上に引用した文章もそうだし、他のインタビュでも「一定の年齢になると物語を書けなくなる。その前に書きためておく」と繰り返し述べている。そういうことを言う作家ってあまり見たことがないので印象に残っている。

もひとつ関係ないが、上に引用した二つ目の文章の「お詫びを申し上げる」という部分がやっぱり目にとまる。たぶん目前に控えたF.S.S.の改編について謝っているのだろう。改編の経緯については『デザインズ4』でも何も語っていないし、きっとあと数年はこの「お詫び申し上げる」以上のことは語らないのだろうな。

つづく。


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