「花の詩女」再上映

2017年6月、「花の詩女ゴティックメード」が全国で再上映。 https://www.dreampass.jp/m342768

【宮城県:6/24上映】
【千葉県:6/24上映】
【千葉県:6/24上映】
【埼玉県:6/24上映】
【大阪府:6/24上映】
【大分県:6/24上映】
【栃木県:6/25上映】
【愛知県:6/25上映】
【京都府:6/25上映】
【岡山県:6/25上映】
【広島県:6/25上映】
【福岡県:6/25上映】
【長崎県:6/25上映】
【熊本県:6/25上映】
【鹿児島県:6/25上映】

システム上、一定数のチケットが売れなければ上映が成立しない。自分の地域以外もどんどん拡散させてどんどん宣伝しよう。今のところ苦戦しているのは長崎、熊本、鹿児島あたり。

一回見た人もまた見よう。見所はカーテンコールやGTMカイゼリン以外にもいろいろある。たとえば岡田斗司夫も驚愕した「キャラの自然な足運び」。永野護が動画17万枚を費やして一体なにを描こうとしたのか、フラットな状態でもう一度見ておいて損はないと思う。

検索フォーム

F.S.S.は「何回」改編されてきたのか

Category : F.S.S.

F.S.S.の意外にも(?)数少ない非公式解説本である『完全解析ファイブスター物語』(笠倉出版社、2012年)を読んでいるとこんな文章が目にとまり、ふーむそうなのかと考え込んでしまった。

一方で、ある年代までのアニメ・漫画好きには「FSSは3巻まで読んだかな?」という人はかなり多いはずだ。それは3巻までは大概の読者はついていけるが、そこから突然ハードルが上がるためである。

(『完全解析ファイブスター物語』カバーそで部分から引用)強調引用者


正直に言うと、F.S.S.信者の私はとうの昔に感覚が麻痺していて、F.S.S.という作品のうちで何がハードル高くて何がハードル低かったんだかすっかり忘れてしまっている。が、言われてみれば確かに4巻以後はハードル高かったかも、という気もしてくる。F.S.S.は単行本4巻、つまり第3話「トラフィックス」から何かが変わっているのかもしれない。ここで話を一気に飛躍させるけど、もし読者たちが第3話「トラフィックス」を読んでハードルが高いと感じるのならば、それは第3話において(2013年設定大改編のような)とんでもない大改編が起きているからではないか。今日はそんな話をメモしておく。

F.S.S.はこれまでに、何、回、く、ら、い、改編されてきたのか。

この問いへのフツーの回答は、2013年の設定大改編の一度きりでしょ、というものだろう。たしかに2013年大改編は方々から注目を集めるほどの事件だった。だがそもそも、あれ以前にもF.S.S.は幾度となく変わってきたのではなかったのか。細かな設定変更・追加を一つずつ数えていけば膨大な回数になるはずだ。F.S.S.唯一の足枷である年表ひとつとってみても、いったい何度、改定されてきたことか。

そんな幾度とない改変のなかでも、私は「大改編」がこれまでに計3回あったと考える。なにをもって「大改編」とするかはF.S.S.読者によっても意見が分かれるところではあろう。なかには「13巻で親しげなお兄さんになり果てたメヨーヨ様なんてメヨーヨ様じゃない! 大改編許さん!」という見方の人もいるかもしれないが、それはまた別の話だ。私の見方は次のとおり。

第一次大改編:第3話
第二次大改編:第5話
第三次大改編:第6話(2013年大改編)


第3話とか第5話とか言われても内容が思い出せない場合は下の記事参照。
http://pladress.blog.fc2.com/blog-entry-150.html

2013年大改編についてはもはや述べるまでもないから、これから第3話と第5話の大改編において新たに登場した改変要素を挙げていく。ただ、厳密には何が「改変」で何がそうじゃないかの判別はむずかしい。それは作者の創作ノートでも盗み見しなければわからないことだ。たとえば「改変」であると思しき「超帝國」設定は、実はF.S.S.連載開始の1986年時点で作者脳内に既にあったかもしれない。そのような事情は私たち読者には知りえない。実際、作者も「○○についての設定は用意してあるが、今その設定を出しても読者が混乱するだけだから出さない」という意味のことを語ったことがあったはずだ。

そこで、この記事では以下の2パターンを「改変」とみなす。ひとつは「従来明かされていなかった重大な新規設定の登場」というパターン、もうひとつは「読者のF.S.S.観を大きく変える新規描写の登場」というパターン。と一応決めておくが、記事の中でこれはどちらのパターンという言及は基本的にしない。なお、「改変」という単語は一つひとつの設定変更や設定追加、といった意味で使う。「大改編」はいくつかの改変による世界像の刷新、くらいの意味。

(かなり長い間、単行本を読み返してないという状態で書いているため、いいかげんな記述も多いかもしれない。連載が再開して私のF.S.S.熱が盛り上がったらまた書き直すかも)


■第一次大改編:第3話「トラフィックス」


さて、F.S.S.で最初の大改編があったのは第3話「トラフィックス」においてだと思う。このときの5件の改変を挙げていく。

・ドラゴンの登場


第3話冒頭、クバルカン法国のミューズ・ヴァン・レイバックとファティマ・静のまえに、「サンダードラゴン」なる生物がいきなり登場する。見開きで。

単行本という小さなサイズに慣れた読者にとってはなんでもないが、ニュータイプサイズの見開きと想像してみれば相当のインパクトがあった登場シーンであったことがわかるだろう。ただ、連載当時の読者には10代も多かったせいか、2013年大改編ほどの大きな反発はなかったようだ。今だったら「永野終わったな」「もはや別作品だ」「F.S.S.を壊すな」的なリアクションも出ていそうだ。ドラゴンてねえ。MHがGTMに置き換えられるよりもドラゴンがいきなり出てくるほうがよほど酷い改変ではないだろうか。

・「ダイバー」「バイア」設定の登場


ドラゴンが登場した直後の本編、今度は「ダイバー」なる魔法使いが連載に登場する。ここで登場したハスハ連合共和国のいかにも魔導士然とした老人(なのか?)がF.S.S.連載史上初のダイバーだった。そのしばらく後の連載では、カステポーの町でミラージュ騎士の「バイア」であるクー・ファン・シーマがゴロツキ騎士(?)の心臓を吹き飛ばすエピソードも登場している。

「ダイバー」「バイア」もなかなか大胆な改変、というか新設定だ。えっ、第1話にも第2話にもそんな魔法使いとかいなかったじゃん、っていう。この「ダイバー」概念がなければ、後の魔導大戦のラスボスであるディス・ボスヤスフォートも登場しなかっただろう。

MHがGTMに置き換えられるよりもダイバーがいきなり登場するほうがよほど酷(以下略)。ただし、『スターウォーズ』からの流れを考えると、フォースのようなダイバー能力は作者のなかで最初期からアイデアとしてあったのかもしれないが。

・タイカ宇宙のエピソード登場

(註)
上記のドラゴンやダイバーは唐突な改変であったとはいえ、まだ「ジョーカー宇宙」内の新設定だった。だが、タイカのエピソードはもはやジョーカー枠内でさえない。タイカってどこ。大権使(ヴィナース)ってだれ。寄子体(ヴァンク)ってなに。この件に関しては作者の言い訳を聞いてみることにしよう。

「何でもあり」とはこういうもの……と、思っていただくと、さらにまだ……ものすごいことがあったりしますが、今はとりあえず置いておいて。
(『F.S.S.リブート3』p228作者コメント)


永野護という人にとって「何でもあり」という言葉はバスター・ランチャーのようなもので、この必殺フレーズを持ち出さざるをえないあたり、タイカ宇宙の登場が無茶苦茶だったという自覚が作者にもあったことがうかがえる。
ちなみに、文中の「ものすごいこと」というのが2013年改編であることは言うまでもない。

(註)念のため書いておく。F.S.S.第1巻巻末のカレンの項目に「異宇宙」という記述があるので、そのような宇宙があるというイメージは最初期の段階からあったと思われる。



・多民族描写


第1話「ラキシス」と第2話「クローソー」はレディオス・ソープやコーラス三世などマンガ的美形キャラが中心となったストーリーだった。ところが第3話ではアジア人ふうの泉興京巴やクー・ファン・シーマなどが登場し、世界の雰囲気ががらりと変わる。この辺りの描写に関しては作者の以下の自己解説のとおりだ。

ミューズは明らかなゲルマン系の白人の代表、カイエンは見てのとおりラテン系黒髪白人。ヤーボは北欧の白人でWAXTRAXというお店のマスターはアラブ系。ここまでおっさんばっかり(笑)。ティンは完全な東洋系で巴も東洋系。「東洋人=目が細い」とか「白人=鼻が高い」っていう記号的な表現じゃなくて、頬骨が張り出してて鼻が低くて扁平な顔っていう東洋人と、ヤーボみたいな思いっきり凸凹のある白人系っていう、骨格そのものから変えた描き分けっていうのはすごく楽しくて。あとは預かり屋の雪之丞とかの老人もね。そういうのも含めていろんな人種が出てくる中で、若いキャピキャピした女も美形の男も誰も出てこねーよっていう。
(『F.S.S.リブート3』p356永野護インタビュー 強調引用者


ちなみに、同インタビューでは第3話の作者視点での「改編」要素(作者は「改編」という言葉を使ってはいない。念のため)が挙げられていておもしろい。作者にとって第3話の重大要素は「他民族」と「今までなかった舞台(カステポーのひとつの町という小規模な舞台)」と「今まで出てもこなかった生物(ドラゴン)」の3点だっという。

・「剣聖」設定の登場


剣聖の登場(註)、あるいはカイエンの登場。どちらでもよい。「剣聖」の語もダグラス・カイエンの名も年表に出てくるほどの存在感はない。だが、その後のF.S.S.全体に大きな影響を与えているのは間違いないだろう。また、この「剣聖」設定は後の「超帝國」とも関わるという点でも重要だ。剣聖はだいたい超帝國関係だし。

(註)参考までに記すが、おそらく「剣聖」という語の初登場はNT1991年2月号のF.S.S.第3話本編ではないかと思われる。剣聖ディモス・ハイアラキ初登場のエピソード。違ったらごめん。



以上、第3話「トラフィックス」の改変要素を挙げてきた。読者の私たちはついスルーしてしまっているが、最初期の年表にはそもそも「ドラゴン」も「タイカ宇宙」も登場してはいなかった。それぞれ後の年表で追加された要素だ。こうして改めて振り返ってみるとF.S.S.の何でもありの暴走ぶりはこの頃から始まっていたんだなあ、と思えてきて面白い。永野護という作家の凄いところは、単行本1巻の後書き時点で「何でもあり」「ゴッタ煮」という必殺フレーズを既に発見していることだが、しかし実のところ、第1話「ラキシス」と第2話「クローソー」までは意外にも大人しく猫をかぶっていて、第3話から急にドラゴン、ダイバー、タイカ宇宙と本気で「何でもあり」をやり始めた感がある。


■第二次大改編:第5話「ザ・シバレース」


第3話のつぎの大改編は、第5話「ザ・シバレース」のときだったと思う。このときの8件の改変を挙げていく。

・JUNO‐18097


第5話は星団暦18097年のジュノーという、読者にとってまったく馴染みのない舞台で始まる。モンド・ホータスとバナロッテ・ナフマーニャのエピソード。モーターヘッドは存在せず、代わりに小さなドラゴンが登場する。設定変更というほどのエピソードではないが、連載当時、従来のF.S.S.とはまったく異なる世界観に途惑った読者も多かったということで挙げた。

・超帝國の登場


未だに謎に包まれているファロスディー・カナーン超帝國が初めて出てきたのが第5話だった(註)。超帝國の炎の女皇帝などは「F.S.S.の主役」とまで言われる厚待遇ぶりだった(『ナイトフラグス』の記述だっけか)。超帝國の語がF.S.S.に登場したのは1997年(地球時間の話です)のことだから、それから20年近くもの間、この改変設定がF.S.S.のストーリーを牽引しているということになる。

(註)参考までに記すが、おそらく「ナイン」のデザインと名前の初登場はNT1996年10月号の扉ページ。「超帝國」という単語の初お披露目はF.S.S.単行本8巻(1997年)の巻末年表。違ったらごめん。



・魔導大戦の挿入


「魔導大戦」なる新たな設定が登場したのも第5話だった(註)。いまさら過ぎて読者の誰も突っ込まないが、これだって無茶な新設定だ。聞いてないぞ。なんだか凄く重要っぽいエピソードだけど、年表には入ってなかったじゃん。なんだよバッハトマ魔法帝国って。っていう。

(註)FSS Mini Dictionaryによれば、「魔導大戦」なる新単語が初登場したのは単行本8巻「年表」らしい。8巻は第4話「放浪のアトロポス」の最終巻なので、「魔導大戦」は第4話の新設定という考え方もできなくはないが、8巻発売時点で第4話は連載終了しているため、「第5話の新設定」として扱う。



・プラスチック・スタイルの登場


説明不要のプラスタ。連載ではMHエンプレスに乗るファティマ・コンコードがプラスタ第1号として登場している。

ファティマに興味のない読者にとっては些事かもしれないが、以前は「制服ファッション」だったファティマたちが、いきなり「モードファッション」になってしまったのだから一大事である。改変以外の何ものでもない。ちなみに、プラスタの登場はF.S.S.のデザイン全般にも大きな影響を与えたようにも思う。永野がプラスタの「半珪素半金属生地」の光沢感を描いたことが後の半透明MHに繋がり、さらには多くのキャラクターの服の素材感やデザインにまで影響を与えたのではないか。

・モーターヘッドの完全ハイヒール化/ヒールレス化


第5話以後、劇中のロボットたちのカカトは完全なるハイヒール形状化/ヒールレス化する(註1)。第5話に出てくるロボット──MHエンプレス、MMイェンシー、MHアトール・スクリティ、MMアウゲ──はどれもハイヒール型だ。

みんな普通に受け入れているけど、これも「改変」だろう。以前書いた日記「永野ロボットはいかに女性化したか」のなかで記したように、連載においてMHのハイヒール化はほんの少しずつ進行した。だから読者はみんな普通に受け入れてきたのだろう。しかし実際には、F.S.S.第1話の頃の「ロボットは安定性のある足形状でなければならない」(註2)という設計思想から、「ロボットはつま先立ちするのでカカトはハイヒール程度でよい。むしろ不要なほど」(註3)という設計思想へと大きく転換している。ロボットデザインとしては決定的な改変だ。

(註1)正確に言えば、F.S.S.の完全ハイヒールMH第1号は、第4話「放浪のアトロポス」のMHヤクトミラージュ本編版。それが第5話以後、定番化する。
(註2)これは私の解釈であり、そのような設定文はない。探せばあるかもしれないが。
(註3)画集『プラスチック・スタイル』のMHエレシスの項目にそのような意味の設定文がある。



・MHの半透明装甲の登場


第5話の途中、いきなり第8話「モナーク・セイクレッド」のプロローグが挿入される。このエピソードにおいて、MH・LEDミラージュが「半透明」(註1、2)の姿で登場する。
この「半透明」設定がストーリーに与える影響はさほど大きくはない。たぶん。だが、MH・LEDミラージュはF.S.S.の看板ロボットでもあり、この新設定でF.S.S.の作品イメージは変わった。その意味では「改変」と言えるだろう。

この新設定のせいで、あれれ、第2話「クローソー」でコーラス軍とともに戦ったMH・LEDミラージュはぜんぜん半透明じゃなかったじゃん、という矛盾が生じ、「そのときは装甲を白く塗ってカムフラージュしていました」という誰がどうみたって無理やりの後付け設定まで出てきたはずだ。あ、この話ってオフィシャル設定じゃなくてF.S.S.FAQの回答だっけな。

(註1)参考まで記すが、半透明MHが初めて読者にお披露目されたのは、おそらく「ニュータイプ」1998年10月号付録ポスター(F.S.S.単行本9巻表紙)。半透明のLEDミラージュが描かれている。
(註2)これも参考までに記すが、「半透明」設定が登場したのは1998年頃だが、作者の構想としては1980年代から既にあったと思われる。これについてはまた今度。



・モナーク・セイクレッドの登場


いまだに謎に包まれている概念「モナーク・セイクレッド」(註)が初めて登場したのも第5話においてだった。これがきわめて重要な概念であることは、F.S.S.第8話のタイトルが「モナーク・セイクレッド」と題されていることからもわかるだろう。何しろ謎の概念なので、この設定の重大性は説明しにくくて困る。

(註)参考までに記すと、「モナーク~」という名称が最初に登場したのは第5話の連載開始と同時に発売された画集『プラスチック・スタイル』あたりと思われる。もしくはそれ以前のニュータイプ特集記事あたり。だが、「モナーク~」的な概念自体は以前からF.S.S.に登場していたのかもしれない。たとえば、もともと年表には「オベリスクモニュメント」という謎の単語があった。それが第5話の「モナーク~」へと発展したのかもしれない。あるいは本編でラキシスだかアトール皇帝ムグミカだかが語った預言のセリフのなかに、すでに「モナーク~」的なものが登場していたかもしれない。検証はしないが。



・フィルモア的ファティマ観の前景化


これは正確には設定変更ではない(註)のだが、読者にとってのファティマ観/F.S.S.観が否応なく更新されることになったケースなので挙げておく。従来のF.S.S.では、たとえば第2話「クローソー」でファティマ・エルマに婚約を申し込むつもりだったと語ったプルース・ランダースの例のように、ファティマと騎士の関係は恋愛の関係と似たものとして描かれてきた。このファティマ観が第5話のクリスティン・Vとファティマ・町のエピソードにおいて逆転する。レーダー前皇帝が言う。

ファティマを決して
友人・恋人として扱うな!
ファティマは人ではない
”物”じゃ!

ファティマは
道具に過ぎぬ!
物として扱い
奴隷のように
使いこなすのだ!
(『F.S.S.リブート』6巻p222)


このクリスティンが魔導大戦において主役級の扱いを受けることになり、読者にとってのファティマ観は大きく変わることになった。このエピソードにくわえて、同じく第5話で描かれたヨーン・バインツェル少年がファティマ・バーシャを過剰に「人として」見てしまうエピソードや、第6話の魔導大戦下の黒騎士デコース・ワイズメルがファティマ・エストを「物として」扱っていることも読者のファティマ観に強い影響を与えているだろう。

設定変更ではないものの、これによって読者のF.S.S.観は否応なく更新させられることになった。もっとも、このフィルモア的ファティマ観はジョーカー星団内では特殊な部類に入るようではある。レーダー前皇帝は先に引用したセリフの続きで「これこそが他国の軟弱な騎士にあらず!」と言っているため、おそらく他国の騎士たちはファティマを友人・恋人の延長として扱っているのだろう。つまりプルース・ランダースのようなファティマ観(コーラス王朝的ファティマ観)がジョーカー星団内では主流である蓋然性が高い。

(註)第2話「クローソー」の時点ですでに、フィルモア帝国の騎士がファティマを「物として」扱うという描写はあった。たとえばブルーノ・カンツィアンやギエロのケースなど。なので設定変更というほどではない。



・S型ファティマのレギンス


個人的には超重要な改変だと思っているが、同意を得られる気がしないのでパス。

以上、第5話において改変された要素を挙げた。この大改編では「超帝國」というストーリー上で重要な新設定が登場し、また、ファティマとモーターヘッドというF.S.S.の二枚看板のデザインがそれぞれ改変された。その意味で第5話大改編はF.S.S.連載史においてかなり重大なものだったと私は思う

では、何故この第5話の時期に大改編があったのだろうか? 考えられる理由としては、「第4話のラストで『重戦機エルガイム』以来のストーリーにケリがついたことで、設定の大幅見直しの機会になったから」という辺りが挙げられるが、これに関してはまたいつか書く。


■第5話の新しさ


すこし話は逸れるが、第5話には、設定にまつわる「改変」以外にも、それまでになかった新しい側面がいくつかある。ひとつは、第5話はストーリーの形式が「短編集」になっているという点。このため第5話は第1話から第4話までとはストーリーから受ける印象が違っている。

もうひとつは、新キャラが非常に多いということ。モンド、バナロッテ、ナイン、スバース、ジャコー、ユーゾッタ、ダイアモンド、峡楼姫、ダイ・グ、アルルと、時代も所属国家も異なる様々なキャラクターたちが続々と登場する。これほどバラエティに富んだ謎の新キャラが大量に登場するのは、第5話の他にはないはずだ。面倒なので検証はしないが。なぜ新キャラが多いのかというと、やがて始まる魔導大戦やその次の時代への下準備のためであろう。というか作者がそう述べていた気もする。

最後のひとつは「コマ割り」。マンガコラムニストの夏目房之介によれば、この時期のF.S.S.はコマ割りが急にすっきりして読みやすくなっているのだという。マンガ表現技術のうえにおいてもこの時期に改変(というか進歩か)があったということを付け加えておく。


■「改変」なのか「設定が固まった」なのか


話を戻す。この文章では改変/改編という言葉を使ってきたが、これに関しては違和を感じる人もありそうだ。第3話と第5話の新設定の登場は「改変」というわけではなく、設定が固まってきたに過ぎない、と。なるほど、「ドラゴン」や「超帝國」という新しい要素が加わり、少しずつストーリーや年表の密度が上がっていっただけの話であり「改変」ではないのだ、という解釈も可能ではあろう。だが、そのレベルでいうなら、2013年大改編も「カレ・カ=ルル=レル=カレンがジョーカー世界を一変させてしまった」という設定(註)が明かされたことで年表の密度がさらに上がったに過ぎない、ということになる。

(註)そのような設定文はまだ公開されていないが、それを匂わす「描写」は複数出ている。


メタ的な見方をしてみても、やっぱり第3話と第5話では「改編」があったのだと私は考える。たとえば第1話や第2話の世界──AKDとコーラスを中心とした物語世界──にファンタジックなドラゴンネイチャー(第3話登場)が跋扈する姿は想像しにくいし、第4話「放浪のアトロポス」の泥臭さのある描写の世界にモードなプラスチック・スタイル(第5話登場)はどこか似合わない感じがする。「ドラゴンがいないジョーカー世界」が「ドラゴンがいるジョーカー世界」に変わり、「プラスタファティマがいない世界」が「プラスタファティマがいる世界」に変わった。これは改変/改編と言ってよいと思う。


「2013年大改編はたいした改編ではなかった」説


第3話大改編、第5話大改編に比べれば、2013年大改編は全然たいした改編ではなかったという気もしている。2013年大改編のおおまかな要素は以下のとおり。
 ・モーターヘッド→ゴティックメード
 ・ファティマ→AF
 ・アトール皇帝→詩女
 ・光剣・実剣→ガットブロウ
 ・ドラゴン→セントリー
F.S.S.読者からは何を今さらと突っ込まれそうだが、これってすべて「デザインの変更」及び「名称の変更」だ。つまり2013年大改編はF.S.S.の表層レベルでの改編という側面が大きいと言える。それに対し、第3話の「ドラゴン」や第5話の「超帝國」「魔導大戦」はストーリーの深層に大きな影響を与えている。2013年大改編が表層の改編だとすれば、第3話大改編と第5話大改編は深層の大改編だと言えるかもしれない。事実、2013年大改編を経たF.S.S.を読んだ読者が、「いろいろ変わったけど物語は変わってないから自然に読めた」と言っている例は少なくない。その意味では2013年大改編は実はそれほど重大な改編ではなかったという見方すらできるだろう。


で、「改編」とはいったい何なのか


F.S.S.はその表層・深層を問わず繰り返し改変/改編されてきた。それはいったい何故なのだろう。というかそもそもの話、F.S.S.にとって、もしくは永野護にとって、改変/改編の本質とはいったい何なのか。結論から先に言えば、改編の本質とは「従来イメージの破壊」である。アニメ/マンガ批評家の高瀬司による以下の指摘をとっかかりに、ひとつの極論としてメモ。極論、と言ってもそこまで目新しい見解でもないかも。

だとすれば、ここでもし、「永野護的」であるということを定めらるとするならば、これまでの『FSS』世界の枠組みを揺るがすことで、『FSS』の世界を拡張することのなかにあるのだろうと思う。
(高瀬司「ファティマの瞳は何色なのか」『ユリイカ総特集永野護』p184)


ここまでに書いてきたように、F.S.S.は何度も改編(高瀬ふうに言えば「拡張」)されてきた。しかし改編とは作者の美意識優先主義による、設定の場当たり的な追加や変更のみを意味しない。それは本質ではない。改編とは、「従来イメージの破壊」である。永野は「エルガイム」や「ガンダム」や「スターウォーズ」を思わせるF.S.S.初期イメージをドラゴン・ネイチャーで破壊し(第3話)、マンガ的美形キャラと白人キャラが中心のF.S.S.イメージを多民族描写で破壊し(第3話)、デカダンスーツという旧イメージをプラスチック・スタイルで破壊した(第5話)。

その度に読者は「なんじゃこりゃあああ!」と驚かされるわけだが、それは当然のことで、なにしろ作者はインタビューやエッセイの中で「読者を驚かせたい」「ハンマーで殴られるような衝撃を与えたい」と幾度も語っているのだ。つまりF.S.S.における改編とは手段ではなく目的のようなものだ。読者のなかには、星団暦3159年にアマテラスが突如として武力侵略を開始したように、永野護も西暦2013年に突如としてF.S.S.を改編しやがったと考えている人もいるかもしれないが、そうではないのだ。なんのことはない、F.S.S.は最初から「改編される物語」として今まで続いてきたのであり、今もまだ「改編される物語」であり続けている、というだけのことだ。なんだか逆説的な話ではあるが、改変/改編によって「従来イメージ」が変わることでこそF.S.S.は変わらない。


■第零次大改編:第1話「ラキシス」


最後におまけ。考えてみれば、F.S.S.は第1話「ラキシス」からして「改編」された物語だったのではないか。これは多くの読者が知っていることだろう。元々、「ファイブスター物語」という企画は、『重戦機エルガイム(2)(ザ・テレビジョン・アニメシリーズ) 』(角川書店)で始まった。同書には年表が掲載されているのだが、その年表ではロボットは「ヘビーメタル」とよばれていた。それが後に「モーターヘッド」へと改変されたのだ。私たち読者のよく知っている「ファイブスター物語」は、この第零次大改編によって生まれたのである。


(最後に念押し。第3話大改編だとか第5話大改編だとかいうのは私の勝手な見解でしかない。第2話や第4話でも大改編があったという説があるなら読んでみたくはあるが、私としては「F.S.S.は本質的にはたったの一度も改編などされていない」という話を読んでみたい。誰か書いてくれないものか)



スポンサーサイト

何度もお邪魔して申し訳ありません。
基本スルー願います。
又も素晴らしい解読解説、ありがとうございます。
FSS論は多々有れど、このように主観と事実が統合された物は中々見ません。
自分も永野氏の『次世代』テーマは、手塚氏の「火の鳥」に匹敵する大河ドラマ的要素で、ソレが初めて現されたのはミースの登場から、と考えておりました。
取るに足らない幽閉先での子どもとの物語の様に描かれて居ながら、アトロをして「残していくミースが気がかり」と言わしめるのは何故だったのか…
後の物語の大河化?の端緒がココから始まった様に感じておりました。
続く(笑)

No title


後の物語の大河化?の端緒がココから始まった様に感じておりました。
すべての始まりはご指摘の『エルガイム』ムック年表ですが、永野氏はあの作品のデザインラインを生み出すに当たり、世界観構築を試みた旨を、どこかで話していました。
『年表』では、ソレがミズン解放として載っていましたが、そこに至るまでにはこれだけの歴史が有ったのだ。
と言う、さながら指輪物語の追補編の様な裏設定を顕かにしたのでした。
その壮大な大河物語に、井上氏を始め多くの読み手が食らった訳で、打倒アマンダラに辿り着く迄の連綿たる世代変遷の物語こそ、FSSであると自分も思っております。
その具体化第一号こそ、ミースなのではなかったか…
そしてソレは、永野氏自身に突き付けられた『次世代』…つまり、お子さんの誕生の様な実生活での大エポックが有ったのではないかと、邪推しております。
その後の少年少女礼賛、JK物語シリーズも、ご実子の成長からの影響なのではないか。
そんなだったら、「永野、だよな」と、素直に同意してしまえるのです。
つい書き過ぎました。ハァハァ
失礼致しました。

全く同感ですが

第一次改変で一番問題な点(コーラスファンにとって)が抜けています。
それは二次のほうで少し触れられている4話のラストでクローソーが
目覚めることなくドラゴンの炎で死ぬということです。
それに比べれば今回の改変など屁でもありません。
どんどん改変してまた復活してほしいところです。
(今回でドラゴンは不可視になったし、超帝国剣聖やユニオは全員生存に
 変わりましたしね。)

連投ですみませんが

二次の方でも、もっと重大と思える変更があります。
・ファティマに寿命があった。
 全編でも名場面の一つであるインタシティの死ですが、寿命があるなら
 4話のラストは何だったのか-ということになります。
 (3次でまた無限になったような記述もありますが)

・モーターヘッドが普通に大気圏内飛行可能になった。
 ウリクルが死んだのはランドブースターによるエネルギー不足が原因
 だったのに、より旧いSR1が長距離飛行しているのは噴飯もの。
 4話のような地上軍の活躍も無く、アイシャが単独で走る必要もない。

はっきりいって別世界のようなので、神による部分的改変などではなく、
「リブート」した新たな歴史(多分モナーク以後)と考えるべきかと。
非公開コメント

  

全記事タイトル一覧

全ての記事を表示する