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F.S.S.読者論(1)F.S.S.批判がつまらない

Category : F.S.S.
以下、Amazonの単行本13巻の批判レビューを見ていてムカついた、という文脈で書かれた日記。これから数回、こんな感じのネガティブな日記を投稿するかもしれない。


F.S.S.単行本13巻のAmazonレビューの批判的な意見がつまらない。「永野護は最初からそういう作家だったじゃん」の一言で反論完了しちゃうような批判が多い。2013年に連載再開したとき、「デザインズ4」が発売したとき、そして今回と、同じような批判が繰り返されてきた。信者である俺のほうがよっぽど根性の悪いF.S.S.批判書けるわ。と息巻いてみても虚しいだけだけど、どうせならもっと面白い批判レビューが読みたいものだ。私がそれらのレビューを「つまらない」と感じるのは、なにも私がF.S.S.信者だから、というわけでは必ずしもないと思う。たとえば批判的レビューにおいては「デザイン論としてのGTMの是非」という話と「MHが消えて悲しい」という話が混同されて語られる。つまりそれは彼/女らが自分のなかの情緒を適切に言語化できていないということであって、批判するならするでもっと言葉を練れよ、と思う。もしかすると当該レビュワーたちも自分の語りに正当性が足りないないことを自覚しているのかもしれない。Amazonレビューなど匿名性の高い場ほど批判が多く、ツイッターやブログなど記名性が一定程度、保たれた場ほど批判が少ない印象がある。それはレビュワーが自分の語りに正当性がないことを自覚しているからではないのか。彼/女(主に「彼」だと思うけど)らがあまり説得的とはいえない理屈でF.S.S.を批判せざるをえないのは、それだけF.S.S.改編を受け入れたくないという情緒レベルでの苛立ちがあるからだと思う。気持ちはわかる。私だって好きだったミュージシャンが変節してしまい逆恨みのごとき感情を抱いたことは一度や二度ではないからだ。ただ、そのようなケースとF.S.S.のケースが根本的に違うのは、永野護という作家は最初からそういう作家だったということだ。

20150823
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