「花の詩女」再上映

2017年6月、「花の詩女ゴティックメード」が全国で再上映。 https://www.dreampass.jp/m342768

【宮城県:6/24上映】
【千葉県:6/24上映】
【千葉県:6/24上映】
【埼玉県:6/24上映】
【大阪府:6/24上映】
【大分県:6/24上映】
【栃木県:6/25上映】
【愛知県:6/25上映】
【京都府:6/25上映】
【岡山県:6/25上映】
【広島県:6/25上映】
【福岡県:6/25上映】
【長崎県:6/25上映】
【熊本県:6/25上映】
【鹿児島県:6/25上映】

システム上、一定数のチケットが売れなければ上映が成立しない。自分の地域以外もどんどん拡散させてどんどん宣伝しよう。今のところ苦戦しているのは長崎、熊本、鹿児島あたり。

一回見た人もまた見よう。見所はカーテンコールやGTMカイゼリン以外にもいろいろある。たとえば岡田斗司夫も驚愕した「キャラの自然な足運び」。永野護が動画17万枚を費やして一体なにを描こうとしたのか、フラットな状態でもう一度見ておいて損はないと思う。

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荒木飛呂彦と永野護

Category : F.S.S.
■お知らせ
映画『花の詩女ゴティックメード』再上映リクエスト受付中!
https://www.dreampass.jp/m342768
※NT2014年9月号で永野監督は「映画で作ったものは映画館で見ないとおかしいじゃない?」と発言。事実上のソフト化しない宣言。見たい人は「ファン登録」してから投票しよう。
※個人的にはこの映画の鑑賞は2回目以降が本番。1回目「なんか変わった映画だな……」。2回目「背景や細部の描写が美しいなあ……」。3回目「良い物語だなあ……」。
※座席に関しては後方座席で物語全体を俯瞰するのも良いが、前方の座席で映像をよく観察するのも楽しいと思う。4K対応劇場でなくとも元映像のハイスペックぶりは感じられるはず。

■お知らせ
映画「ファイブスター物語」再上映リクエスト受付中!
https://www.dreampass.jp/m150717

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昨年末のF.S.S.アンケートの結果によるとF.S.S.読者にもっとも人気の高いマンガ作品は『ジョジョの奇妙な冒険』であるらしい。
ということで荒木と永野について書いた古い日記をアップ。





荒木飛呂彦と永野護
『ユリイカ総特集 永野護』が面白い。これまで『ファイブスター物語』も永野護も、マンガ論の世界ではほぼ完全にスルーされてきたわけで、これでようやく評論の俎上に載せられたことになる。まあ『ファイブスター物語』の大きな魅力であるモーターヘッドやファティマのデザインや、年表はあっても終わりの見えないストーリーというのは批評の対象にはしにくいという部分はあるだろう。

しかしそれにしても、永野と同世代の作家であり共通項の多い荒木飛呂彦の語られやすさと、永野護の語られにくさという非対称性は私にとっては不可解である。そういえば『美術手帳』の11月号がちょうど荒木飛呂彦を特集していた。永野護と荒木飛呂彦を特集する雑誌が書店で隣同士に並んでいる光景は面白いけれど、サブカル以外にまともなネタないの、とも思うけど。

共通点のある永野と荒木の比較批評を誰かしてくれないものか。
と言っても誰もしてくれないので自分でメモする。
この二人には以下の共通点がある。
  • 同じ1960年生まれのオタク第一世代(註)
  • 洋ロックへの傾倒と自作の中での引用
  • ファッションへの傾倒
  • 漫画家としてのキャリアをほぼ一作品を描くことに費やしている
  • 長い歴史の中の一部を描くというスタイルの物語
  • メカニカルなパートナーと共に戦うストーリー(ジョジョは霊体であり、F.S.S.はロボット)

  • (註)オタク第一世代というのは、リアルタイムで「鉄腕アトム」「鉄人28号」「仮面ライダー」「ウルトラマン」「ガンダム」等を享受した恵まれた世代。


一方で、ぱっと思いつく限りで相違している部分は次の通りだ。
  • 荒木は多くのマンガ形式の物語を世に出しており、永野は多くのデザイン画と設定を世に出している
  • 荒木は週刊連載(後に月刊連載)であり、永野は月刊連載
  • 荒木は勢いを感じる線であり、永野は細い線。
  • 荒木は大きい&数の少ないコマの画面であり、永野は小さい&数の多いコマの画面である(註)
  • 荒木はマンガの世界でメジャーであり、永野はマイナー(いしかわじゅんは「F.S.S.は700万部売れていても閉じている」との旨の指摘をしている)
  • 2000年代から模型化が盛んになった荒木作品と、1980年代から模型化が盛んな永野作品。
  • というか数えればキリがない。
    (註)ただ、F.S.S.の原稿用紙はおよそA3サイズという大判。なので2人の原稿用紙を比較すれば、実際のコマの大きさにあまり差はないかも。


この二人はともにファッションフリークである。そのため両者ともにキャラクターの服にとても気を遣っていて、服オタクとしては作中のファッションを観察するだけでも面白い。奇抜で非現実的なファッションを好む点では共通しているのだが、細かく見ていくと違いも多い。

荒木飛呂彦の描くファッション
  • ケレン味のある柄の生地を好んで描く(特に五部以後か)。承太郎の蛇柄(もしくは蛇革)パンツなど。ジョリーンの上下揃いの服などにおいては柄=キャラクターの能力という等式が成り立っている
  • ヤンキー的、ギャル男的
  • アクセサリーの類は原宿的
  • イタリアデザインの香り
  • 荒木らしいデザインの服は主に男性キャラに与えられる


永野護の描くファッション
  • 柄のある生地を好まない。シルエット(註)とパターンがキャラクターの同一性を表す(セル画にしやすい要素?)
  • 女性用の下着や女性用の靴、レースや刺繍の模様への執着
  • アクセサリーは高級宝石(王族やファティマが身につける)
  • 特定の国らしさは強調されない
  • 永野らしいデザインの服は主に女性キャラ(ファティマ)に与えられる
  • キャラクターの衣装替えが多い
  • (註)金田淳子が『ユリイカ総特集永野護』において「これまでにデザインされた数百体のファティマ(スーツ)を、わたしは瞬時に見分けることができる。その大半はおそらくシルエットだけで見分けることができる」と述べていた。すごい。私はシルエットのみで判別できるほどの境地には達していないが、人物本体を除いた服のデザイン画でならだいたい当てられる気がする。


(以下20130208追記)
マンガ論の世界でのF.S.S.の語られなさは嘆かわしい限りだが、まあ、当該「ユリイカ」の編集後記の「永野護は疾走する。言葉は追いつけない」というのがこの件に関する最も正しい理解の仕方なのだろう。生嶋毅彦もたしか「模型に批評は不要」と言っていたはずで、それと一緒だ、きっと。しかし、美的センスがモノをいうヴィジュアル系の世界でも圧倒的に人気は「ジョジョ」>「ファイブスター物語」という感じで、解せない。BUCK-TICKの今井寿もブログで唐突に「露伴先生」に言及したりする。ジョジョが好きなバンギャルはいくらでもいるが、F.S.S.が好きなバンギャルには今までほぼ一度もお目にかかったことがない。

ひとつ慰めになるのは、TOSHIYA(DIR EN GREY)や石井秀仁(cali≠gari、XA‐VAT、GOATBED)という、日本V系史のなかでも際立って先鋭的な美意識の持ち主がいずれもF.S.S.ファンであるという事実だな。少数精鋭。

(以下20160320追記)
ジョジョとF.S.S.、エピソード進行の時期的相似
ジョジョとF.S.S.はそれぞれのエピソードの連載時期と期間がかぶっているのも面白い符合だと思う。両作品の進行が大幅にずれる2000年までの経過を以下に。

Part1 ファントムブラッド(1987年)
第1話 ラキシス(1986年‐1987年)

Part2 戦闘潮流(1987年‐1989年)
第2話 クローソー(1987年‐1988年)

Part3 スターダストクルセイダース(1989年‐1992年)
第3話 トラフィックス(1989年‐1992年)

Part4 ダイヤモンドは砕けない(1992年‐1995年)
第4話 放浪のアトロポス(1992年‐1996年)

Part5 黄金の風(1995年‐1999年)
第5話 ザ・シバレース(1997年‐2000年)

Part6 ストーンオーシャン(2000年‐2003年)
第6話 マジェスティックスタンド(2001年‐)

(以下20160320追記)
本文のなかで「荒木の語られやすさと永野の語られにくさという非対称が理解できない」とブーブー言っている当時の私にひとつ突っ込みを入れておく。当時の私はまるで「語られやすいF.S.S.」を望んでいるかのような口ぶりだが、 語られやすいF.S.S.って、それは既にF.S.S.ではなくないか。作者の手によらないテレビアニメ化・ゲーム化を拒むのがF.S.S.だったし、バンダイにMHの版権を下ろし安いプラモデルを売ることを許さないのがF.S.S.だった。F.S.S.はジョジョのように「メジャー化」する必要のない/してはいけない作品だと思う。荒木は「文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞」という栄誉ある賞を受賞しているけれど、永野には受賞してほしくない(と以前から思っている)。ファンである私が作者の受賞を嫌がるというのも変な話だが、「カウンター」の作家である永野護が国家からお墨付きをもらうようではお終いだ。新城カズマは「ジョジョも異様だがF.S.S.はあれより異常」という意味のことを言っていたけど、もしF.S.S.=永野護が異常でもカウンターでもなくなり、大衆化したとしたら、それはもはやF.S.S.でも永野護でもない気がする。永野護は8年かけて映画を一本つくるぐらい変な作家でちょうどいいのだ。と言うと大部分のF.S.S.ファンから怒られそうだが。

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