「花の詩女」再上映

2017年6月、「花の詩女ゴティックメード」が全国で再上映。 https://www.dreampass.jp/m342768

【宮城県:6/24上映】
【千葉県:6/24上映】
【千葉県:6/24上映】
【埼玉県:6/24上映】
【大阪府:6/24上映】
【大分県:6/24上映】
【栃木県:6/25上映】
【愛知県:6/25上映】
【京都府:6/25上映】
【岡山県:6/25上映】
【広島県:6/25上映】
【福岡県:6/25上映】
【長崎県:6/25上映】
【熊本県:6/25上映】
【鹿児島県:6/25上映】

システム上、一定数のチケットが売れなければ上映が成立しない。自分の地域以外もどんどん拡散させてどんどん宣伝しよう。今のところ苦戦しているのは長崎、熊本、鹿児島あたり。

一回見た人もまた見よう。見所はカーテンコールやGTMカイゼリン以外にもいろいろある。たとえば岡田斗司夫も驚愕した「キャラの自然な足運び」。永野護が動画17万枚を費やして一体なにを描こうとしたのか、フラットな状態でもう一度見ておいて損はないと思う。

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2014年時事日記

Category : F.S.S.
2014年に書いた時事日記。
なんでも永野護かヴィジュアル系に結びつける日記。
ついでに後述の映画「FAKE」の宣伝もしておく。




永野護と佐村河内守、二人の「マモル」について
佐村河内守が謝罪の会見をしていた。別に髪、切らなくてもよかったのに、と思いながら見る。あ、短い髪も自己プロデュースの一環か。

彼からなんの害も被っていない人たちがさも当事者のように「許さない!」と噴き上がっていることには腹立つが、それは日本ではいつものことなので今さらどうでもいー。

私が信奉するのは別のマモルだけど、この二人のマモルは「コテコテの世界観を売った」という点で共通している。他にも「男なのに髪がやたら長い」とか、「ほぼ同世代」だとかの共通点があったりする。

二人のマモルの語ってきた物語は、現在なら「中二病」とよばれるような種類のものだ。それを臆面もないほどの、誰もやらないレベルでやってきたから二人はそれぞれの業界で唯一の存在としてあった。

佐村河内はいくつかの点では明らかに道を踏み外していたようではあるが、彼の語ってきた物語というのは、たとえばガクトあたりの嘘っぽい自己プロデュースと本質的には何ら変わらない。ヴィジュアル系バンドが必ずオリジナルの「世界観」を打ち出すように、佐村河内も独自の「世界観」を提示したに過ぎない。そういう意味では佐村河内はヴィジュアル系の流儀に従ったヴィジュアル系作曲家だった。佐村河内のプロフィール文には「クラシック、テクノ、民族、宗教音楽など20を超える音楽ジャンルを自在に操る鬼才」との記述があったらしいが、ジャンル横断性はまさにV系の特徴である。永野のほうのマモルもいくつかの意味でV系的であると何度か日記に書いた気がするが、佐村河内のほうのマモルは、コンテンツとしての虚構のキャラクターを自ら生きる選択をしていた点で、永野よりもさらにV系的だった。

V系の世界にはガクトのごとき虚構の語りをルースに受け容れてしまう素地があった。しかし、クラシック音楽の世界は虚構を虚構として遊ぶジャンルではなかった。そこを見誤ったのが佐村河内の失敗だった。ウィキペディアによれば、佐村河内の楽曲を使用していたカプコン社内では、「全聾である設定」は暗黙の了解であったという。それはゲーム業界もまたV系とおなじで虚構を虚構として楽しむジャンルだからだろう。
二人うち一方のマモルは、今まで事実であるとして語ってきた世界観がフィクションであったと暴露され、もう一方のマモルは今まで語ってきた世界観(モーターヘッドやその他)を自分でなかば反故にした。どちらに対しても「今までの感動を返せ!」の類の批判は出ているわけだが、少なくとも永野のケースでは実害は出ていない。

感動するならフィクションで。

良い教訓が得られたので終わり。
(2014年03月07日。12月にちょっと加筆)


氷室京介の引退について
マモちゃんと同じく新人類世代の氷室京介が「卒業」を発表した。
私にとって氷室京介はヴィジュアル系最大のボーカリストだった。最大、というのはその辺の若いバンドのボーカリストを束にしても、氷室(とくに40歳を超えてからの)には勝てないからだ。氷室の近年のユニットであるGOSPELS OF JUDASの「Bloody Moonなどは、耽美を標榜するすべてV系バンドを滅ぼすような曲だった。まあ氷室にその意図があったとまでは思わないし、実際のところはファルセットを異常なほど連発するディルアングレイの京(Youtube)辺りに触発されたというのが真相ではないかと読んでいるはいるが、いずれにしても氷室は50歳を越えてなお若いV系バンドをV系的土俵のうえで圧倒できる程度には、充実していた。日本では無名の滝山幸英という優れたギタリストも得て、氷室の未来にはいくらでも可能性があったのではないのか。

私の耳には氷室京介という人はボウイ期ではなくソロ期にこそ全盛を迎えているように聞こえる。氷室自身は「ボウイの氷室」という亡霊と戦っていたらしいが、そんなのとっくに追い越してるやん、と私は思う。

氷室をV系にくくるのは氷室ファンからもV系ファンからも納得されないだろうし実際、氷室の直接のフォロワーはそれほど多くはなく、歌唱面ではグレイのテル、作詞面ではアシッドブラックチェリーのヤスあたりしか思い浮かばない。直接のフォロワーが少ないのはおそらく、氷室の男臭く、泥臭い感じがV系の耽美趣味に合わなかったからだろう。それでもライブでの氷室のあの佇まいはV系的であるとしか言いようがない。たぶんソロになった河村隆一などV系ボーカリストたちも先行する氷室をロールモデルにしていた部分はあったんじゃないか。

年齢を考えれば氷室の「卒業」の決断はせっかち過ぎるとはいえ、永野護と同年代のミュージシャンが身体的な不調を理由に活休するのはショックだ。はぁ。
(2014年07月13日)


ドキュメンタリー映画「FAKE」の宣伝(以下2016年6月追記)
今月から、佐村河内守が「主演」するドキュメンタリー映画「FAKE」が公開されるので紹介しておく。監督は森達也。代表作はオウム真理教バッシングのなか、オウム内部に入り信者の日常を捉えたドキュメンタリー「A」など。売れない監督の作品なので、多くの人が観に行ってくれればいいと思う。

「FAKE」の試写を見た小説家の高橋源一郎は、「ドキュメンタリーの枠を完全に超えていた。驚くべき結末だったが、よく考えてみると、それしかない終わりだった。素晴らしすぎる。」と感想を言っている。メディアリテラシー(メディアの情報の真偽を疑いながら読み解く能力)について考えさせる優れた作品だ。まだ見てないけど。
見たい。

映画「FAKE」
監督:森達也 出演:佐村河内守
公式サイトには岡村康幸や浅野いにおのコメントも載っていて面白い。
http://fakemovie.jp/
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