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F.S.S.のギャグ的な描写を振り返ってみる

Category : F.S.S.
以下、投稿忘れの先月の日記。

* * *

F.S.S.は全体としてはシリアスな戦争マンガとして描かれているはずで、現在連載中の魔導大戦の後だって殺戮のエピソードを控えているのだが、しばしば、というか、頻繁に、ギャグのような描写が入る。さすがに悲惨な物語さえ喜劇風に仕立ててしまう三谷幸喜ほどではないが永野護もセイレイ、アルル、ネイパーのMH戦のように戦闘シーンさえギャグで決着(?)をつけたりする。

NT今月号(2017年7月号)もF.S.S.らしいギャグ回で面白かった。こういった頭わるい系の描写は今や本編の定番だが、ふと、いつ頃からどんなふうに定番化したっけ、と思った。と、いうわけで、本編を振り返ってみることにした。面倒くさいので単行本はちゃんと読み返さない(ので出典表示なし)。

第1話から順に、ギャグめいた描写を振り返っていく。第1話「ラキシスの章」ではたぶん、ソープの崩れた表情が出てくる程度だったはずだ。ビュラードが軽薄そうな雰囲気を匂わせてはいるものの未だまともであり、さすがのAFラキシスもこのころは柱をかじったりはしなかった。第2話「クローソーの章」には、ソープとビュラードのバス内お色気寸劇や、AFラキシスとウラッツェンのアカンベーなどがあった。第1話よりもややユーモラスになった感がある。第3話「トラフィックス」では、ビュラードをさらに軽薄にしたようなヒッター子爵が登場し、存分におちゃらけを披露していた。また、「くされアンパン」なる、後の「ギンギラギンの色毛虫」などに通じるおもしろ比喩表現も登場している。第4話「放浪のアトロポス」では、ミス宇宙軍とトッカータ中佐のコントがあったり、すえぞうの「えらい!」「はらへった!」があったりした。ちなみに第3話から第4話にかけての時期は、キュキィ、AFパルテノ、メヨーヨ王子など、独特の日本語表現が目立つ(ギャグとはちょっと違うが)。第5話「ザ・シバレース」では、頭のわるそうなジャコーの登場、「かーちゃんキック」なる脱力系必殺技の登場、ママドア・ユーゾッタとクリスティン・Vのケンカ、じゃーじゃー姫の登場などがあった。MHマイティ・シリーズに乗れる騎士の条件は「頭の悪い」「知能指数の低い」「天然バカ」(単行本10 p54)である、という無茶な設定も出ている。第6話「マジェスティック・スタンド」ではワスチャとAFヒュートランの「プロムナード」、ヘアードの「ねえちゃんキック」、柱をかじるAFラキシス、女装させられるサリオン、脱皮に失敗するAFラキシス、AFレレイスホト豆腐事件などがあった。

以上、振り返ってみた。こうしてみると、F.S.S.は次第に、順調に「頭わるい化」していったように見える。転換点は、第4話ですえぞうが登場したことだと思う。まさに「頭わるい」キャラだし。その前の第3話で、ヒッター子爵(剣聖カイエン)がエピソードの主役級キャラであるにも拘わらずおちゃらけを演じた意味も大きいのだが、すえぞうはヒッターよりさらに強烈(というか作品内でもっとも強烈)だった。たぶん、作者は第4話のF.S.S.史上もっとも凄惨でシリアスなあの戦車戦を描くにあたって、作中の重く、暗い雰囲気を振り払うにはすえぞうレベルの強烈な頭のわるさによるユーモアが必要だと考えたのだろう。そういえば夏目房之介もすえぞうを「良いキャラ」と褒めていたはずだが、それはともかく。すえぞうの登場でタガが外れたかのようにして、次の第5話からはF.S.S.全体に頭わるい成分が拡散していく。「世代交代を書きたい」という作者の意図(註)により、第5話には威勢のよい若い新キャラが多数登場したことで、作品全体に「頭わるい化」が広がり、定番化していった。以前、第5話があらゆる意味でエポックだったと書いたが、その意味でもエポックだったのかもしれない。つづく第6話では、若い新キャラたちの発する低偏差値ギャグ磁場に引っ張られたのか、AFラキシスやサリオンのような旧キャラらまでもがギャグを演じるようになっていった。

 (註)NT2017年7月号インタビューなど各所で語っている。

ではF.S.S.の本編でもある映画『花の詩女ゴティックメード』はどうだっただろうか。思い返すと、詩女ベリンも皇子トリハロンも、幸か不幸か「頭わるい化」の影響を受けなかったようだ。ラブちゃんが二度も死ぬ、というセントリーの幼生ならではのギャグはあったものの、トリハロンには表情が崩れるシーンが一つだけあった程度のはずで、ベリンにはそれすらなかった。思うに、『花の詩女』が「頭わるい化」するかしないか、その命運を握っていたのはラブちゃんだ。詩女暗殺未遂事件は後に星団で語り継がれる(註)らしいが、もしラブちゃんがすえぞうだったら、語り継がれるのは詩女と皇子のおもしろ珍道中だった可能性もあるのだから。いや、でも星団にはそういうバリアントをせっせと作る喜劇作家もいるか(それこそ三谷幸喜のような)。

 (註)単行本13巻でアドー王が「ラーンの詩女と我らフィルモア帝国初代皇帝陛下の話はいくつもの映画、物語となって語り継がれておる」と言っている(p136) 

以上、振り返ってみた。ただの思いつきではあったが、やってみたら一つの流れのようなものが見えてきて面白かった。気が向いたら本編をすべて読み返して書き直す。



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三谷幸喜

いつも楽しく拝見しております。
「悲惨な物語さえ喜劇風に仕立ててしまう三谷幸喜」…ああ!良く考えたら、「真田丸」「新選組!」は言わずもがな、「王様のレストラン」や「ラジオの時間」「笑いの大学」などなど、彼の書く物語はどれも、登場人物側からしてみたら悲惨な内容なのかも知れませんね~。

悲惨な事を悲惨に描いた話は、それはそれで楽しめますが、好きでは有りません。
受け手に対するサービスが足りない気がして冷めてしまいます。

ひとひねりある創作の方が見ていて楽しいのは、井上ひさしの「難しい事を易しく~真面目な事を面白く」に通じる作劇の秘技を使って貰ったような喜びがあります。

または単なる作家の精神的バランス感覚?


デザイン第一みたいなフリして、永野も中々の作劇上手。FFC、面白かったですもん。16歳に批判されないように、言っときます。


巷では余り芳しくない永野のギャグですが、貴方が「笑った」「笑える」とおっしゃって下さるので、自分も自信を持って笑っております。

趣旨違いながら永野に劣らず大好物な三谷幸喜の名を見かけ、ついついコメントしてしまいました。


失礼致しました。
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